5月になりましたね! 早い、早い! 子どもの日がある連休にもさまざまな楽しい行事がもりだくさん。みなさんは楽しく連休を過ごされましたでしょうか? よいお天気でしたか?
少し前、私は仕事のために東京にいました。美しい桜が見られてうれしかったです。また、私が15年間働き、忘られない経験や体験がある青山のこどもの城を 訪ねました。たくさんのこいのぼりが風にのって、うれしそうに飛んでいるのを見て感動しましたが、こどもの城は今年で閉館になりますから、大変寂しい気が しました。町のこどもたち、親たちにとって、すばらしい場所でしたから、閉館はとても残念です。児童会館もなくなり、代わりとなる場所や施設があるのか心 配です。自分にとっても、親として、さまざまな子どもと一緒に遊んだ思い出がたくさんありました。

こどもの城は1985年の秋に開館し、私はその年の10月から勤め始めました。そのころ娘たちは6歳と8歳。まだ小さかったので、週末の仕事を避けてもら いました。当時は子どもを育てているスタッフが少なく、私のような外国人もいませんでした。娘たちにとって城は自分の庭のような、夢のある場所でした。

こどもの城を企画した方は竹内よしみさんでした。残念ながら、現在には天国にいますが、竹内さんの努力のおかげで、こどもの城が実現しました。彼は将来性 の珍しい考え方をもち、7年の間に、いろいろな方と城の可能性などを研究して調べて、世界中にいろいろなアイデアを探しました。そのころ厚生省のなかには 竹内さんのような考え方や子どものための夢を持つ方が少なく、長い間反対されたと聞きました。しかし竹内さんは、東京のせわしない街のなかに、子どもや 親、先生のために役立つ場所を実現したかったのです。本当にすばらしい人でした。私には、日本の子どもたちを守る天使さまに思えました。

娘たちは竹内理事長のことが大好きでした。男の子のお孫さんとよく理事長の広い部屋で遊びました。ある休日の前の日、理事長は私に、「明日、娘さんたちを 連れてきてください」といいました。何のためなのかよくわかりませんでしたが、娘たちを理事長室に連れていくと「娘たちは大丈夫だから安心して仕事に戻っ てください」と言われ、びっくりしました。理事長室で子どもが遊ぶことは珍しかったので、ほかのスタッフも驚いていました。
あとから、なぜ娘たちが呼ばれたのか、その理由がわかりました。理事長あてにたくさんのおもちゃメーカーがいろいろなおもちゃや乗り物などのサンプルを 持ってきていたのです。理事長室で、理事長のお孫さんと私の娘たちが実際にその乗り物に乗ったり、おもちゃで遊んだりするのを見ながら、理事長は、そのお もちゃが子どもたちにふさわしいか、おもしろいかの判断をしていたのです。子どもたちの声を聞き、その意見も大切にしました。

理事長が娘の考えや意見などを大切に尊重してくれたことは、親として本当にうれしく、感動しました。ですが周りのスタッフは残念ながら、良い顔をしてくれ ませんでした。自分にとっても娘たちにとっても、思い出深いことです。やっぱり、大人がこどもを尊敬すること、信じること、話を聞くこと、意見を大事に聞 くことはとっても必要な、重要なことだと思います。私も娘たちに城のなかで遊んでもらい、なにがおもしろいか、なぜ楽しくないかなどをよく聞きました。子 どものためになにかを作るなら、こどもの意見はとても大事です。

城には娘と一緒の思い出がたくさんありますが、きっと、一番心に残る思い出は青山円形劇場での活動です。1986年から「こどものための演劇講座」を作り ました。毎年2回ほど、スポンサーの力を借り、親子のための6回公演のファミリーDiscoを企画しました。最初のクリスマスプログラムで、理事長に「ど うしてもファミリーDiscoをやってください」とお願いされました。初めて、舞台の上に立つと、物たりなく感じました。やっぱり、こどもの城の家族のた めには、こどもの演劇グループが必要だと思いました。そのときから、PAG(パフォーミングアーツグループ)が始まりました。25~35人ほどの5歳から 12歳の子どもたちと一緒に、親子のためのプログラムを企画しました。それから15年の間、約125もの公演を数えました。

娘もこのグループに参加し、毎年、私と一緒に舞台の上に立って、家族で「家族のために楽しいプログラム」を演じました。プログラムは必ず、 途中に家族のDiscoタイムを入れ、ステージのうえにコスチュ-ムを着て演じている子どもとお客さんと一緒におどりました。また、このプログラムはバイ リンガル。英語と日本語両方で、歌や遊び、お話を行いました。

娘はまだ小学生でしたが、参加している子どもたちに英語と日本語両方を使って積極的にリードして、よく手伝ってくれました。私も竹内さんと同じ気持ちで、 娘や演じる子どもたちの意見を大事にしました。親子がお互いにものを作り上げることによって、本当にすばらしいcommunicationができます。台 本を作りながら、コスチュームやセットデザイン、音楽、ゲームなどを一緒に考え、一緒に作ることは、自分にとって、宝物の思い出となりました。
この前こどもの城に行ったとき、劇場のオフィスを訪ねて、城が閉館するからぜひもう一度、最後の挨拶のために円形を見たいとたのみました。あの夜偶然に招 待券があり、もう一度円形劇場に入って、お客さんの立場で席に座りました。その夜のステージの内容はよく覚えていません。なぜなら、客席に座りながら、 1986年~2000年までに演じた活動やプログラムを、娘やほかの子どもたちとの舞台の上にあったことを、心の中にひとつひとつ、思い出していたからで す。涙…。そうですね、涙もありました。
見ている舞台はコメディだったので、時々、演じている方は私の顔を見ていました。なぜ涙しているのか不思議だったのでしょう。
働く女性、母、責任者、クリエーターとして、私は誇りを持っていました。ですから、こどもの城とのさよならはとても悲しかったのです。円形劇場をみて、頭を下げて、心の中で大きく、ありがとうといいました。

親は毎日、人生の舞台の上に立っています。既成の台本はないですが、自分と自分の子どもやファミリーが、自分たちのライフストーリーを一日、一日紡ぎ、 作っています。ハッピーエンドより、毎日を大切に、できるかぎり強く優しい心を目指して、子どもを育て、家族を育てていきます。いろいろな事件もあるで しょうが、自分の家族の台本を楽しく作ってくださいね。ぜひ、おもしろくてわくわくするような、ライフ舞台を企画してください。子どもと話す、子どもと歌 う、子どもと踊る、子どもと泣く、子どもと笑う、子どもと遊ぶ…。子どもと一緒に、夢をたくさん企画してください。何より、これはあなたの大切な家族の舞 台ではないでしょうか。