私と日本との最初の出会いは1969年。もう、約45年のおつきあいになります。アートやデザインの勉強をしていたころ、アメリカ・ロサンゼルスにあるカリフォルニア大学(UCLA)から、日本の国際基督教大学(ICU)へ、留学することになりました。

そのころの日本は学生運動が激しく、まもなく大学は閉鎖されてしまいましたが、大学が再開するまでに、アメリカの大学の先生の紹介で、東京・代々木にあった東京人形学院と人形劇団プークで、日本の人形や指人形などの勉強を始めました。

当時私は、日本語を読むことも話すこともほとんどできませんでしたが、両手で人形を作りながら、日本語を覚えていきました。人間は手で学んだり考えたり、覚えたりすることができるのだと思いました。当時からいままで、ずっと変わらない気持ちはひとつ。「日本が大好き!」という思いです。

1970年にはカリフォルニアの大学に戻り、1972年には、大学院の勉強のために、再び愛する日本へ。その1年半の間に、私にとって大切な出会い がありました。アメリカに戻ったあと、1974年に日本で出会った男性と結婚し、新しい家族を持ちました。その後、7年間サンフランシスコで暮らし、 1980年に娘2人と主人と一緒に日本へ戻って、主人の親といっしょに住むことに。アメリカの大きな庭のある家から、日本の六畳2間の生活へ。今までの人 生からの、大きな変化が始まったのです。

 

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あれから、さまざまなことがたくさんありました。なかでも特に、子育ての思い出が強く印象に残っています。子育てはどこの国でも行われています。国 や習慣が違っても、親にとって自分の子どもは世界一の宝物。どんな親にも、子育ての悩みや心配、希望などがきっとあるのではないでしょうか。外国での子育 ては簡単なことではありませんが、アメリカで育った私が日本で子どもを育てることは、とてもすばらしい、かけがえのない経験となりました。その経験は、そ の後の自分に大きな影響を与えてくれています。

これからこの連載のなかで、日本の保育園での生活や、クリスマス、お正月、習慣の違いなど、おもしろかった、幸せだった、日本での子育ての日々を、みなさんにお伝えできたらと思っています。

私が日本に来た1969年と、今現在、2013年を比べると、日本はすっかり変わりました。思い出のあの道にタイムスリップしながら、今と昔の日本とアメリカの子育ての道も、歩いていけたらと思っています。

これからいっしょに、よろしくお願いします!